【料亭 たか橋】は、城下町加賀市大聖寺にて半世紀。大聖寺伊万里の器などで、おもてなしの旬料理をお召し上がり頂けます。

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大聖寺伊万里とは

大聖寺伊万里

明治から昭和にかけて主に旧江沼郡大聖寺町内(現・石川県加賀市大聖寺)において上絵付けされた染錦手伊万里を本歌取り(写し)した九谷焼の総称です。

素地には同じく旧江沼郡内の山代町方面にある大蔵窯、栄谷の北出窯、松田窯、勅使の東野窯等で染付部分だけを施した「伊万里下」を半製品として供給されていました。

明治4年の廃藩置県以降、九谷焼は当時の大聖寺藩の支援と保護がなくなり危機的状況に陥っていました。

そのため古九谷の頃より行われてきた一品ごとへの作成姿勢を、「同じ図文様と形状のものを分業によって量産化する」という転換期がおとずれたのです。その一つが、当時人気があり上絵付けや金彩によって高い価値が付く有田の染錦手(金蘭手とも)伊万里でありその写しが大聖寺伊万里です。

また大聖寺伊万里の中には、いわゆる「型もの」といわれる荒磯文様、赤玉文様、五艘船文様などを描いた鉢類から菊型皿や姫皿、そして九谷柿右衛門と呼ぶ柿右衛門写しや鍋島写しまでかなり広範囲に本歌取りした品もあります。

大聖寺伊万里でお食事を

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大聖寺伊万里は国内外への輸出品や、消耗品としての日用品として作られてきました。

地元でも昭和の初め頃には、旧家などでも所有され、式事やおもてなしに使用されてきました。

量産化された物とはいえ一つ一つ手作業での絵付けのため、もともとの数が20組や30組くらいまででした。

その後、戦後の混乱によって流出し、現在は数にバラつきがある状態で出回っています。

当店では初代店主の頃より地元に伝わる大聖寺伊万を趣向として収集してきました。

飾るだけではなく、使用することによって大聖寺伊万里の歴史や存在意義、当時のおもてなし雰囲気を現代にて体感して頂けたらと思っております。

「大聖寺伊万里」歴史ある器で歴史を感じながら至福のお食事を。

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